コロラドの時々日記

トランスフォーマーを中心にアメコミの事を載せたりするブログ

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コマ切れ日記

一つ一つだと短すぎるようなネタがたまってきたので
そういうネタを集めるスタイルを堂々と盗んでみる


・TFジェネレーション2011
TFジェネレーションはムービートイの全リストが載ってる時だけ買っているのだけど、
今回はサイモン・ファーマンが脚本を書きおろしたコミックが掲載されているので楽しみに読んでみた。

読んだ結果として
話の方があまり面白くなかった事はともかく、なんとなく翻訳に不満を持ってしまった。
どこがどう悪いとは言いづらいのだけどなんか不満を持ってしまった。
読んだ後に「これ訳したの誰だろう?」とか思ってページを戻すと翻訳者は石川裕人さん。

なんかこう文句を付けるのもおこがましいと言うか20年以上早い人に文句を付けてしまってどうしよう…と言う気分
本当になんで微妙に感じたのだろう


・DOTMことダークオブザムーンについて思う事
TFネタの続き。
さて、もうすぐ映画3が公開はされないものの、
おもちゃの第1弾(Waveって言うと少し専門用語っぽくなってカッコイイ)が発売されるわけですが
これをダシに映画1と2の感想とか思い出についてぐだぐだ書いてみようと思った。

とりあえず第1作目の思い出
正直な話、TFにおいてはおもちゃ>コミック>映像媒体な優先順位を付けているわけですが、
珍しく映像を物凄く気に入った映画。
日本ではおもちゃ第1弾は6月2日に発売されたわけですが、あまりに楽しみすぎて待ちきれず
5月中旬に輸入版のプレビューフィギュアを買いに走り、開封して素晴らしいディティールに感動したのが印象深い。

※プレビューフィギュア:スターウォーズのEP2から導入された販促(のはず)
「プレビューフィギュアが出る」とだけ知らされ、店に行って始めてどんなフィギュアかがわかり、
さらに映画で主になるキャラクターもわかると言うシステム。
映画1では隕石モードのオプティマスとスタスク、2ではサウンドウェーブと新バンボビーが発売された。

そして6月2日に買い、7月14日に買い、オートモーフやディティールに感動しながら延々と遊んだ果て、
期待値が絶好調の中、1ヶ月遅れの8月4日に映画が公開されて見に行ったわけです。
出来は他の感想サイトを見ればわかる通り、あまりいい意味ではない典型的ハリウッド映画なわけですが、
それであってもCGの出来とアクションは素晴らしく4回見に行きました。
流石に10月になると衰えるわけですが、それでも8月9月と盛り上がりのまま過ごしておりました。


で、2作目のリベンジオブザフォールン。
正直こっち側にはあんまり良い思い出は無く…
映画の方はキャラをほとんど活躍させない1作目の悪い癖だけを見事に引き継いだ、
見所はデモリッシャーの上海破壊シーンぐらいの酷い作品。
玩具の方は見た目は良くなったものの、マイ伝以前の悪い癖(こっちもか)が復活。
見た目を良くするだけのパネルの折りたたみや部品の移動が無駄に多く、
この傾向はサイズが大きくなればなるほどひどくなり、
リーダーサイズのオプティマスやジェットファイヤに至ってはジョイントがまともに嵌らず、
ビークルに変形させようと思うと左右のジョイント穴でシーソーゲームを楽しませてくれる素敵仕様。
見た目は文句無しなだけにこういう面倒なだけの欠陥に恐ろしく萎えさせられ、
1作目のオプティマス(見た目は似てないけどおもちゃとして傑作)を引っ張り出していた記憶が。

ただ、この感覚って映画公開までの期間とかも関係しているように思う。
1作目は6月2日(5月中旬)から8月4日まで、丸々2ヶ月空いていたわけだけど
2作目は5月末から6月19日で3週間程度。
2ヶ月間の間、おもちゃで遊び続けて期待を高めた結果の1と
高める暇もなかった2では評価に違いが出るのも当然と言えば当然…なのかなあ。

と言うわけでショックウェーブも登場する映画3ことDOTMには期待しております。


・唐突にウォッチメンのオチについて
本当に唐突に自分の思うウォッチメンのオチを書いてみようと思う。
オチと言うか、イカと最後のマンハッタンの言葉の解釈なわけですが。

イカことNY爆破の件は「いろんな人が集まってきていて助け合いの気持ちを強めていたのを吹っ飛ばした」
と言う解釈をわりと見るのですが
(見ていなくても見ると言うことにしておいて欲しい)
個人的にはこれ、まったく正反対だと思うわけです。
吹っ飛ばされる前のNYでの助け合いは紀元前から現代まで世界中の各地でどこでもあったであろう出来事なわけですよ。
でもなんの解決にもなっておらず、ウォッチメン作中のような状態になってしまった。

つまりあの場面は
「これまで何千何億の回数繰り返された誰でも持ってる、平和には程遠い助け合いの感情」を
「史上初の世界一の天才が1人で理屈だけで考えた平和に最も近い計画」
と言う対比の元に吹っ飛ばす皮肉に溢れた場面なんじゃないかなあと。

で、この皮肉は最後のマンハッタンの言葉で皮肉に返されると言うか
オジマンディアスの作った平和は(オジーが生きている間かどうかはともかく)
いつか崩れて同じ事が必要になると宣言されてしまい、
平和を作り上げられる天才であっても人間の根っこそのものは変えられない、と言うツッコミを受けるわけです。
この事が最終ページで1度0時になった最終時計が
裏表紙にて少し進んでいる事の回答にもなるのではないかと思うのですが、如何か。

と言う解釈を披露してみたところで終わる。
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